06/01/15  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師


主  題:イエスがだれかご存じですか2

聖書箇所:コロサイ人への手紙 1章16−17節


 物質は全く悪く堕落したものである、霊は全くきよく純粋なものである、このような教えをグノーシス派の人々は教会の中に持ち込んだのです。彼らが教えたことは次のようなものでした。

創造の神はまことの神ではない。

創造は絶対者としての神によったのではなくて、その神よりも下級の創造物によるものであると言います。

(2)キリストが人であること否定する。

つまり、物質が悪であるために肉体も悪であるから、キリストが肉体をもつことなどあり得ない、だから、キリストが人としてこの世にお生まれになったことを彼らは否定したのです。

このような教えがコロサイ教会の中に入り込み、教会を混乱させていました。そこで、パウロはイエスがいかに優れたお方であるか、イエスの卓越性を教え、同時に、イエスが神であられることを明らかにすることによって、コロサイの人々を正しい信仰へと戻そうとするのです。混乱している人々を正しく導こうとしたのです。そして、この手紙をパウロは記したのです。これまで私たちが見て来たように15節から、イエスはどういうお方であるかを教えてきました。

☆イエスの卓越性

1.イエスは神である、神のかたちである

2.永遠に存在しておられるお方である

今日は三つ目です。16節のみことばを見てください。

3.イエス・キリストは創造主

 パウロはこの16節のみことばを通して、イエスはすべてのものをお造りになった創造主だということを再び教えようとするのです。16節「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」、パウロはこのみことばを通して主イエス・キリストがどのようなお方であるかということを教えようとしています。彼が神であり創造主であるということを言うのですが、ここには三つの異なった前置詞が使われているのです。それを用いることによって、パウロはこの大切なことを人々に教えようとしたのです。

万物は御子にあって造られた

パウロはまず、このイエス・キリストのご性質を教えようとします。「万物は御子によって造られた」とは教えていません。ここで「あって」と訳されている前置詞は活動、存在の領域を表わすことばです。つまり、パウロはこの前置詞を使うことによってこのようなことを教えようとしました。イエスは被造物、だれかによって造られたものではないということを明らかにするために、イエス・キリストは被造物の一部ではなくて、被造物がイエス・キリストの一部であり、イエス・キリストが活動する、存在するその領域の中に存在するのだと言います。イエスの存在の中にすべてのものが含まれているというのです。これは神のご性質、遍在です。どこにでも存在なさるお方です。みことばが教えるように、天の果てに行ってもそこに神がおられる、よみにくだってもそこに神がおられる、私たちは神の目を逃れてどこかに行くことなどできない、神が知らないところへ身を隠すこともできない、どこに行っても神は私のことを見ておられるからです。それが神です。そして、このみことばによってパウロが教えることは、この主イエス・キリストはまさにこのご性質をもっておられる神だということです。

なぜ、パウロはイエスのご性質について最初に語ったのでしょう?これは、初めにも言ったように、コロサイの教会が異端の影響を受けていたからです。私たちがこのようにみことばを見て行くときに、その当時の人々に何が起こっていたのか、どんな状況にあったのかということを、私たちがしっかり学んで行かなければ、そこで言われている意味を正しく理解することができません。教会はグノーシス派の教えによって混乱していたのですが、それだけではありませんでした。エジプトの長老のアリウスも間違った教えによって教会を混乱させたのです。彼は、父なる神と子なるイエス・キリストの間には差があると言うのです。父なる神だけが永遠であり、イエス・キリストはすべての被造物の最初で最大のものとして無から創造され、そして、そのキリストが後に宇宙を創造したと、このように言ったのです。ですから、このアリウスが教えたことは、やはり造られた被造物であるイエス・キリストによってすべては造られたと、こう言ったのです。まさに偶像崇拝を教えたのです。というのは、キリストに与えられた力と栄誉のゆえに、キリストは神として仰がれ礼拝されるべきであるとこのようにも言います。彼のやったことを見るなら、神として礼拝を受けるのにふさわしいお方である、但し、彼は造られたものであって創造主ではないと言うのです。そうすると、このような教えになると三位一体の教えが根底から覆されます。このような教えが教会に入ってきたのです。これは何も新しいことではありません。今の私たちの社会でもそのような教えはいっぱいあります。キリストが神ではないという教えが。皆さんの家を回ってきて聖書を勉強しましょうというグループがあります。クリスチャンだと言いますが実はそうではありません。彼らが使っているものは私たちが学んでいる聖書とは違い、自分たちの勝手な聖書です。そして、彼らが言うことはキリストは神ではないのです。そういう教えは常に出てくるのです。人々を惑わします。そのようなことがこのコロサイの教会にもあったのです。

恐らく、皆さんも歴史で覚えておられるでしょうが、このようなことが起こったため、325年にコンスタンティヌス帝が小アジヤのニカイヤにおいて最初のキリスト教の会議を開いたのです。キリストは真の神なのか、それとも、最初で最大の被造物なのかという点において論争したのです。その結果、このアリウス主義は異端であると宣言を受けたのです。しかし、このような教えによって、偶像礼拝や三位一体の否定という考えが広がって行くのです。325年に出されたニケヤ信条といわれる信仰告白の中に、イエス・キリストに関してこのように記されています。今から1680年ほど前から、人々はこのように信じこのように教え生きて来たのです。「主は神の神、光の光、真の神の真の神、造られたものではなく生まれ、父と同質であり、すべてのものはこのお方によって造られた」と、まさに聖書が教えていることを、彼らはこれが神の教えである、これを信じるべきである、これが真理であると全員で決定して、それを教え始めたのです。しかし、先ほどから話しているように、このような間違った考えによって教会は混乱し、教会内に分裂分派が生まれてきました。そこでパウロは、何度も繰り返して、イエスはどのようなお方かを教え続けるのです。

さて、コロサイ1:16を見てください。「造られた」ということばが出て来ます。ギリシャ語の聖書ではこの「造られた」ということばが2回しか出てきません。後半の「万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」と「造られた」が2回出て来るのは、日本語の訳で補っているのです。そうしてほうが分かり易いからです。でも、16節には「造られた」ということばは2回しか出てきません。パウロは非常に面白いことに、この二つの動詞を別の時制で書いているのです。最初のほうは不定過去という時制で書きました。何を言っているのか、これはもう歴史的な事実であるということを証明したかったからです。後半の「造られた」は完了形で書かれています。その神が造られた世界は今も存続しているということです。そのようなメッセージもこの中から見て取ることができるのです。

 すなわち、ここでまず最初にパウロが言っていることは、イエス・キリストは世界のすべてのものを造られた創造主である、それが証拠に、彼には神として存在するご性質がある、遍在のお方であるということです。

(2)万物は、御子によって造られた

 この創造主はどんなものを創造したのか、この世界がだれによって造られたのかということが2番目に出て来ます。この「よって」は仲介者という意味をもった前置詞です。II コリント1:19に「私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、とあります。

コリントの人々にキリストのことが宣べ伝えられました。でも、実際にその働きをしたのはパウロたちでした。パウロたちの仲介を通してそのわざが為されたのです。このコロサイの1章の中でもパウロが教えることは、父なる神はこのイエス・キリストを使って、イエス・キリストを通して、イエス・キリストを用いて、この世界のすべてをお造りになった、彼がその仲介者だということです。このことは、ヨハネ1:3にもこのように記されています。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」、もう一つ、ヘブル1:2にはこのように書かれています。

「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」と、イエス・キリストによってこの世界を造ったと言うのです。父なる神が御子イエス・キリストを使ってこの方によって世界を造ったと。だから、パウロはここで再び、イエスが創造主だということを明らかにするのです。

そして、創造主によって造られたものがどういうものかが16節に記されています。まずパウロは「天にあるもの、地にあるもの」と言います。私たちが夜空を見上げるとたくさんの星がありますが、私たちの肉眼で見えるのは6等星までといいます。それは6000個ありますが、実際に見えるのは約2500個ぐらいだろうと、13等星の数は560万個ある、パロマ山の天文台の望遠鏡で見ると約23等星まで見えるのですが、それで見ると約29億個もある、地球のある銀河系には約2000億の恒星が含まれていると考えられている、大宇宙には銀河系のような小宇宙が1000億以上もある、つまり、星の数は計算上、2000億×1000億で2に0が22個も付くような数、まさに天文学的な数字です。これらすべては御子によって造られたのです。地にあるもの、この地上にあるものです。陸や海の中にあるもの、地の中にある金属鉱石などすべてのものです。すべての生き物、自然界、この地球に含まれるすべてのもの、そして、あなたもこの方によって造られたのです。御子がそれを造ったのだというのです。敢えて、パウロがこのように言ったのは、すべてのものは御子によって造られたということが言いたかったからです。そこで彼は「見えるもの、また見えないもの」と言います。実際に私たちが見ることができるもの、できないものがあります。宇宙の果てなど見ることはできません。微生物、細菌など肉眼では見えません。けれども、見えなくてもそれはすべて御子によって創造されたと言うのです。そして、このお方は物質的なものだけでなく、空間までお造りになったと言います。そのような創造主だと言うのです。その後、「王座も主権も支配も権威も」と続きます。いったいこれは何を指しているのでしょう?

パウロは他の書簡でこのように教えています。エペソ1:21−22には同じようなことばが出て来ます。「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。:22また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」と。ここで言われている「王座、主権、支配、権威」とは何を指すのでしょう?実はこれは天使のことです。エペソ書で教えられているのは天使のことです。天使たちの位であり階級であり、天使たちに与えられた役割です。ジョン・カルバンという宗教改革を行なった人物はこう言います。「天使はここで荘厳な称号で飾られている。それは彼らが彼ら自身であるいは神から離れてどんな力を持っているかを示すのではなくて、神が彼らに何を為し、神が彼らにどういう責任と任務とを与えたかを示すものである。」と。皆さんもよくご存じのように、罪を犯していないきよい天使の中にセラヒムやケルビム、ガブリエル、ミカエルなど、様々な役割を受けた天使たちが存在していました。しかもこれは罪を犯していない天使たちだけでなく、罪を犯した天使たちの中にもそのことを見ることができます。エペソ6:12には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と教えています。罪を犯した悪霊たちの中にもそのかしらであるサタンが存在するのです。

 私たちが今このみことばを見るとき、果たしてこれは何を意味しているのかと思います。しかし、その当時の人々は、パウロのこの手紙を受け取ったときに、パウロが何を言わんとしていたのかが分かったのです。コロサイの教会の中で天使に対する教えが為されていたからです。その上、偽りの教師たちもこの天使に関して教え、間違った方向に教会員たちを導いていたのです。混乱をもたらしていたのです。なぜなら、その間違った教師たちの教えによって天使を崇拝するようになっていたからです。コロサイ2:18にそのことが出て来ます。「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、」。天使を崇拝するのはコロサイだけの問題ではありません。そのようなことは様々なところで行なわれていました。なぜそのような天使崇拝が始まったのかというと、神の優越性が強調されることによって人々はますます神とに距離を感じるようになり、彼らにとって神は知ることも近づくこともできない、直接話すこともできない遠い存在になった、その結果、自分たちと神との間を取持つ存在が必要になってきたからです。それが天使でした。だから人々は、神は天使を通して人に語りかけ、人は天使を通して神に祈れるというように考え、天使に対する崇拝が始まったのです。このようなことがこの教会の問題だったからパウロは言いました。天使にはいろいろな階級がある、いろいろな役割があるけれど、あなたがたが覚えなければいけないことは、その天使たちは全部被造物であって、創造主ではない、だから、崇拝を受けるにはふさわしくないのだと教えたのです。

(3)御子のために造られた

 パウロはここで創造の目的を言います。何のためにすべてのものは造られたのか、その目的です。万物は御子のために造られたのです。私たちはみことばを学んで何度もそのことを教えられてきました。この宇宙は、この世界は、そして、あなたは何のために造られたのか、みことばが教えるのはイエス・キリストのためだということです。だから、その方の栄光を現わすというのは当然のことです。その方のすばらしさを世に証するというは当然のことです。そのために造られたのですから。黙示録の4,5章を見ると、この御子が崇拝されているところが出て来ます。4:11に「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」とあり、5:12−14にも「彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」:13また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」:14また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。」とあります。神に造られたものたちが造ってくださった創造主なる御子を心から崇拝するのです。この方を誉め称えるのです。御子イエス・キリストはそれにふさわしい方だからです。クリスチャンの皆さん、あなたはイエスのために造られたのです。あなたが今日生きているのは、神がその目的を果たすために、この日をあなたに与えているからです。今日何をしなければいけないのか、それは明らかです。

さて、もう一度コロサイ1章に戻りましょう。天使を崇拝するように教えに惑わされ、また、そのようなことを実践していた人々に対して、パウロはイエスがこの天使に優るお方だということを教えました。もうすでに見て来たように二つのことを見ました。なぜ、イエスが天使に優るのか、それは天使はイエスによって造られたからです。二つ目に、天使はイエスのために造られたからです。だから、天使はイエスを崇拝していたのです。ヘブル1:4から見てください。4節に御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。」と記されています。7節には「また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、」とありますが、これは聖書の欄外に詩篇104:4からの引用だと記されています。そこには「風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の召使とされます。」とあります。つまり、神はこの自然界の統治において、天使たちをご自分の道具として使われるのです。風や炎が神の目的のために用いられたように、神はご自身のみこころを為すために天使たちを用いるのです。天使たちは神のしもべなのです。ところが、このヘブルの8節を見ると今度は御子についてこう言われるとあります。「御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。」、つまり、みことばは天使たちは神に仕えるもの、神のしもべだと教えるのです。ところが、御子イエスに関しては、この方は神だと言うのです。イエス・キリストは神であり永遠に存在されるお方です。どのような天使であってもイエスと比較することはできないのです。Iペテロ3:22に「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。」と、このペテロのことばからも明らかです。はるかに天使に優っておられるお方だと。ですから、イエスはご自分のお造りになったものに命じたときに、それらは全部従ったのです。風に命じたら風はその通りに従いました。波に命じたら波は従いました。罪を犯した悪霊たちもこの方に従うのです。サタンでさえもこの方の許可がなければ何もできないのです。みなこの方によって造られたからです。ですから、パウロはこの1:16を通して繰り返しイエス・キリストは創造主であることを明らかにするのです。

 そして、17節にはイエス・キリストはすべてのものを治めている方だと教えます。「御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」、先の部分「御子は、万物よりも先に存在し」と、ここでも「御子」ということばが使われているのはそれを強調したいからです。パウロ自身がイエスが神であること、すばらしいお方であると心から確信しているから強調するのです。そして、皆さんにぜひ覚えていただきたいことは、この「存在し」という動詞が現在形だということです。パウロが敢えて現在形を使ったというのは、イエスが永遠から永遠に存在されている方であること、この方には過去も未来もない、この方にあるのは常に現在である、永遠に存在される神だということを明らかにするからです。そして、「万物は御子にあって成り立っています」と、主はすべてのものを治めておられる、だから宇宙は調和があるのです。私たちが神の造られた世界を見るとき不思議なことばかりです。そのようにしか表現できません。自然界も驚きだらけです。それは争っていません。争っているのは人間だけです。神に逆らっているから。しかし、自然界は調和を保っています。そこに私たちは神のみ力を見、神の知恵を見ます。たとえば「水」、ほとんどのものは凍るとその容積は小さくなりますが、水は10分の1ほど容積が大きくなります。なぜでしょう?小さくなるとみな湖底に溜まって行きます。湖全体が凍っても容積が大きくなることによって沈まないので、氷の下にいる生き物が死ぬことがありません。地球は23度傾いています。もし、そうでなかったら海からの水蒸気は北極と南極に集まって凝縮し氷の山になってしまいます。もし、太陽が今の半分の熱しか放出しなければ私たちはたちどころに凍ってしまいます。逆に2倍の熱を発したとするとみな焼け死んでしまいます。地球は自転しています、赤道では毎時、

1600キロの速さになっているといいます。これがもし10分の1の速度160キロになったら、昼と夜は今の10倍の長さになり、昼には植物はしなび夜には苗木は凍って死に至ると。もし月と地球の距離が今よりもっと短くて8万キロくらいだったら、満潮期にはすべての土地、すべての高い山々を洪水で覆ってしまうと。海がもっと深ければ炭酸ガスと酸素はみんな吸収されて植物は生きることはできないと。もし大気圏がもう少し薄ければ空中で燃え尽きる何百万の隕石が地上に降って、恐ろしい火事を招くだろうと。これらを見たとき不思議だなとそれで終わるのですが、そうではありません。そのようにデザインしてそのように保っておられる創造主がいるというのです。これが聖書が教える創造主なる神です。この方があなたを最高のものとして造ったのです。

主イエス・キリストは間違いなく神です。この方は被造物ではありません。創造主です。すべてを造りすべてを支配しておられる方です。彼の創造のみわざ以外の方法で存在するようになったものはどこにもありません。また、この主の支えなしに存在し続けることのできるものはどこにもありません。今、あなたがしっかり覚えなければいけないことは、このような方によってあなたは造られ、今支えられているということです。それなら、あなたは造られた目的も生かされている目的も分かったのですから、このすばらしい神を証することです。そのとき、もうすでにあなたが経験したように、あなたの心はどのようなものをもっても得ることのできない喜びで満たされます。神のすばらしさを証しているときは神は私たちの心をすばらしい祝福や喜びで満たしてくれます。それをするためにあなたは救われ、それをするためにあなたは生かされているのです。クリスチャンである皆さん、しっかり覚えてください。なぜ神は私を造ったのか、なぜ神が私を救ってくれたのか、なぜ神が今日という日を私にくださっているのか、それは、このすばらしい方を証するためです。まだ、イエスを信じておられない方には、なぜあなたはあなたを造ったこの創造主を拒み続けるのでしょう?なぜこの方に逆らい続けるのでしょう?この方のところに戻ってこの方を受け入れることです。そして、新しいスタートを切ることです。創造主があなたの神として救い主として、この方とともに歩んで行く新しい生き方を今始めることです。私たちの神であるイエス・キリストはこのような偉大なお方である、こんな方によって私たちは守られていること、どんなに幸いなことでしょう。そのことを感謝しながら、この方を証しながら生きることです。