05/12/25  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師


主  題:神からの賜物

聖書箇所:コロサイ人への手紙 1章13−14節


 クリスマス、何度も繰り返しているように、私たちは神からの恵みを覚え心からの感謝を捧げるのです。今日、私たちはコロサイ人への手紙1章13−14節を通して神のすばらしい恵みをご一緒に見て行きましょう。12−14節に「また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。:13神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。:14この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」とあります。

12節で、前回見たように、パウロはコロサイのクリスチャンたちが、いつもどんなときでも神に対して感謝を捧げる人になることを願いました。なぜなら、私たちには神に感謝を捧げる理由があるからです。神は私たちにすばらしい恵みと祝福を与え続けてくださいました。そのことをパウロは教え続けてくれるのです。クリスチャンの皆さん!神がどんなにすばらしい祝福をくださったか、そのことを忘れてはならないのです。「感謝をささげることができますように。」と現在形で記しているのは、そのように生き続けて行くように、感謝を捧げ続けて行くように、いつでもどんな時でも継続して捧げて行くようにとパウロが望んだからです。神のみこころは明らかです。私たちはいつも神の祝福をしっかりと覚えて感謝し続けることが必要です。特に、私たちはこのクリスマスに神のすばらしい贈り物を忘れてはならないのです。神は救い主をあなたのために送ってくださったと聖書は繰り返し教え続けています。パウロもコロサイのクリスチャンたちにそのことを教え続けています。もうすでに見たように、12節に「聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった」と、救われたものに割り当てられるものを神はあなたのために分け与えてくださった、あなたはそれを自分の持ち物にしたのだと教えたのです。言い方を変えると、あなたは相続分にあずかるのに十分な者とされた、相続にあずかるのに相応しい者に達したのだ、ということです。神は何を相続させてくださるのでしょう。既に見たように、神は信じる者に永遠のいのちを、永遠の御国、天国を約束されました。そしてあなたは、確実に、いつ死を迎えるとしても、そこに招き入れられるのです。なぜなら、相続に、天国に相応しい者とされたからだと言うのです。どのようにして相応しい者とされたのでしょうか。みことばが教えるように「光の中にある、聖徒の・・・」とあります。つまり天国は光の中にある聖徒たちのものなのです。「聖徒たち」ということばは、神が一方的に選んでご自分の所有とされた人々のことです。感謝なことに、神はたくさんの人間の中であなたを選び、その罪の中から選び出してくださり神のものとしてくださったのです。わたしのものだと言われます。私たちが忘れてはいけないことは、私たちはそうでない(選ばれていない)人たちより優れているのではないのです。私たちよりはるかに優れている人たちはこの世の中に溢れています。なぜこのような者を神が選び聖徒としてくださったのか、私たちには分かりません。しかし分かっていることは神があなたを愛しあなたを選んでくださったということです。そして、光である神と交わりをもつことができる者としてくださったのです。だから、エペソ5:8で「光の子どもらしく歩みなさい。」とパウロは教えるのです。本当に私が天国を相続する者にされたかどうかはみことばを見れば分かります。エペソ1:13には「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。」とあります。聖霊は何のために私たちに与えられたのでしょう。続く14節を見てください。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。」と、あなたが天国に行くことがどうして分かるのか、それは神があなたの内に聖霊なる神を与えてくれているからだと言います。聖霊なる神が与えられたらどうなるのでしょう。私たちは変わってくるのです。既に学んできているように、私たちは新しい価値観・目標・願い・夢をもち、新しい歩みを始めるのです。どんなことでしょう。神に喜ばれることをして行こう、神のみこころに従って生きて行こう、そういう生き方をする者に変えられるのです。どうして変わったのでしょう。聖霊があなたの内にいるからです。では聖霊がいるとはどういうことでしょう。それはあなたが御国を受け継ぐ者とされたことです。それが神が私たちに約束されていることです。神はイエス・キリストを信じる者に永遠のいのちを、罪の赦しを、天国を約束されました。それは、このすばらしい神を信じ受け入れることによって聖霊なる神をいただいたこと、そして、聖霊なる神がいるということは、あなたが救われているということが明らかになるのです。天国にあずかる者、そこに入ることができるものにされた、ということを約束しているのです。だから、私たちは神に感謝を捧げ続けて行くことが必要だとパウロは教え続けるのです。

☆救いに関する神のみわざ、救いとは?

13−14節を見てみますと、パウロはここで救いに関して神が為さったわざ、神のみわざを要約しています。神がどんなことをあなたのためにしてくれたのかを要約しているのです。特に二つのことを見て行きます。どうぞ注目してください。

1.救われたあなたは主人が変わった  13節

 13節「私たちを暗やみの圧制から救い出して」と神が救い出してくださったとあります。「圧制」とは霊的な主権者、支配領域という意味があります。支配しているその領域、暗闇があなたの主権者であるその状況から、あなたが救い出されたということを意味しているのです。もう少し明確に言うと、あなたはサタンの支配から救われたということです。エペソ2:2でパウロはこのように言っています。「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」と。「空中の権威を持つ支配者」とは誰のことでしょう?しかもこの支配者は、不従順の子ら、つまり神に逆う人々の中に働いている霊のことです。誰のことでしょう。パウロは同じエペソ6:12でそのことを明確にしてくれます。この支配者とは誰なのか?働いている霊とはいったい誰のことを言っているのでしょう?「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と。この世にあってこの世を、この世の人々を支配しているのは誰でしょう?この世で影響を与えている存在とは誰なのでしょう?聖書が教えるのは悪霊たちであると言います。そして、悪霊たちのかしらとはいったい誰なのか?サタンです。悪魔です。イエスはヨハネ8:44で衝撃的なことを人々に語りました。人々はイエスの話しを聞き、わざを見て信じると告白しましたが、それは心から罪を悔い改めて信じたわけではなかったのです。利己的な願いからイエス・キリストを信じ受け入れようとしたのです。イエスを信じたら自分にとって得になるとか、祝福が与えられるからと。神に従って行こうという思いではなく、自分の欲しいものを手に入れようと、そういう思いをもってイエスの許にやって来て、そういう思いをもって私は信じますと言った、その人々に対してイエスが言われたことです。「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。」と、もちろんこれを聞いた人々は憤慨しました。しかし、イエスは事実をおっしゃったのです。なぜなら、生まれながらに人間はみな神に逆らうものです。先に見たように、悪霊は神に対して不従順なものです。神に従わないものです。その長はサタンです。イザヤ14章、エゼキエル28章で教えるように、サタンは創造物の中で最初に神に逆らったものです。自分自身を神にしよう、自分が神になろうとしたのです。被造物である天使が創造主になろうとしたのです。それが彼の罪でした。そして何と、私たちの多くの者が同じような罪を犯しているのです。自分が神なのです。だから、創造主に従いたくない、自分のやりたいことをして行きたい、自分の思い通りに生きて行きたいのです。私たち日本人はそうです。特に男性は神に頼るような弱い生き方をしてはいけない、自分の力で生きなければいけない、自分の力に頼ってと傲慢にも神を無視して好き勝手に生きてきたわけです。そんな生き方はどこから来たのでしょう?それは私たちのかつての主人サタンからです。サタンはそのように神に逆らい続けるのです。自分が神として生き続けるのです。神のみこころに逆らい続けて行くのです。だから、それを父とする者はその父に倣って同じような生き方をするのです。そのことをイエスはご存じだから、あなたがたのことを「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者である」と言い、あなたたちが望んでいることは、あなたがたの父である悪魔を喜ばせることばかりだ、だから人間は罪を平気で犯し、犯し続けて行くと言います。罪を犯すことで誰をいちばん喜ばせるのでしょう?偽りの父であるサタンを喜ばせているのです。だから、私たちのこれまでの生き様を振り返ってみた時に、どれほど神に逆らい続けてきたことでしょう。それは私たち自身がよく分かっていることです。神は何度も悟るチャンスをくださいました。私たちは弱い者だ、一人では生きて行けない、神の助けが必要だと、また、私たちのうちに永遠に対する思いをくださった、死んでから先のことを考えるのは人間だけです。猿や他の動物たちはそんなことは考えません。神は人間を特別に造り、人間の心の中に永遠に関する思いを与えてくださったからです。それは、その思いを私たちが持つ時、そのことについて考える時に、私たちは神の方に目を向けようとするから、そのことを神は期待しているのです。しかし残念ながら、人間はそんな先のことを考えても意味がない、しんどくなり人生が暗くなる、今やりたいことを楽しめばいいと言って、神がいろいろな方法をもって創造主がいること、あなたは創造主によって造られたのだということを教え続けてくださっているのに、そして、この創造主のところへ帰って来なさいと言ってくださっているのに、それを受け入れようとしないのです。このクリスマス、神はあなたを救うために、あなたの罪を赦すために救い主を送ってくださった、しかし、あなたがしていることは「必要ない」と言い続けているのです。私は罪を赦していただくことなど必要ありませんと、そう言って神に逆らい続けているのです。ちょうど、私たちのかつての主人サタンがそのように生きるように。だから、イエスは言われたのです、あなたの父はサタンだと。私たちは罪の中でどうすることもできないでいます。皆さんも経験されているでしょう?「心入れ替えよう」「正しく生きて行こう」とそのような決心を何度もしたはずです。でも、何度決心しても守れません。私たちは自分を変えようといろいろな面で努力してきたけれど、なかなか変わらないのです。私たちの心が変わらないのです。なぜ、こんなことを考えてしまうのだろう、こんなことを思ってしまうのだろう、なぜ、人の不幸を喜んでしまうのだろう、私たちの心は陰険で直らないのです。だから、救い主が来てくださったのです。サタンの奴隷であるあなた、サタンの支配下にいるあなた、あなたができることは、その主人を喜ばせることでした。罪に罪を重ねることしかできなかった。自分で自分を変えることのできないあなたは自分の力で救いを得ることなど不可能です。ちょうど、底なし沼に沈んでしまってどんなにもがいても、もがけばもがくほど沈んでしまうような時に、手足の動かし方を聞いても意味がない、必要なのは誰かが手を差し伸べてそこから救い出してくれることです。溺れている人間に泳ぎ方を教えても意味がありません。浮き輪を投げて救ってあげることです。自分で自分を変えることのできない罪人に対して神がされたことは、救い主を送ってくださり、この救い主によって救われると言われたことです。だから、救い主が来たのです。サタンの奴隷であるあなたを救い出すために。サタンに仕えているあなたをその支配下から救い出すために。イエス・キリストはその力があることをお示しになりました。I ヨハネ4:4に「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」とあります。「あなたがたのうちにおられる方が」とは誰のことでしょう?神です。「この世のうちにいる、あの者より」とはサタンのことです。イエス・キリストはサタンに完全に打ち勝ったのです。地上におられた時にサタンの誘惑を受けた時に罪を犯すことがなかった、サタンが支配している死という力に対しても、イエス・キリストは死んだ後三日目に完全によみがえってくることによりサタンの力を打ち砕いたのです。その方が、サタンに勝る方が、あなたのうちにいるのです。だから、あなたは勝利者だというのです。サタンより力のある方があなたをその支配下から救い出してくださったのです。

そのことをパウロはコロサイ1:13で「私たちを暗やみの圧制から救い出してと語るのです。また、パウロはローマ6:17−18で「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、:18罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」と語っています。罪の奴隷から解放されたと言います。非常に意味のあることばです。奴隷は主人の言いなりです。罪の奴隷とは罪の言いなりです。どうすることもできない、罪をやめることができない、私たちは生まれながらに皆罪の奴隷だからです。しかし、もともとは罪の奴隷だった私たちが、伝えられた教えの基準に心から服従し神の教えを受け入れ従う選択をすることによって、罪から解放されて義の奴隷、神のものになったのです。また、パウロは同じローマの6:20−21で「罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。:21その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。」と言っています。罪の奴隷として罪を犯してきた、いったいそれがあなたに本当の幸せをもたらしたか?罪を犯すことによって一時的な快楽を楽しみ、一時的な満足を得たように思ったかもしれないけど、必ずそこには虚しさと罪悪感、後悔が付きまといます。そんなものから何か良いものを得ましたか?そんなものがあなたに本当の幸せや満足をもたらしましたか?その罪があなたに永遠のいのちをもたらしましたか?違うでしょう、なぜなら、それらのものの行き着くところは死だからです。そのように罪を犯して好き勝手に生きている人生があなたにもたらすのは、不幸であり永遠の滅びでしかないのです。この祝福に満ち溢れた神から永遠に断ち切られ、神の祝福をいただくこともなく神の呪いがその人の上に留まるのです。天国ではなく永遠の地獄であり、祝福ではなく永遠の呪いがその人にあるのです。それは神に逆らい続けたからです。そのようなものから何か良い実を得たでしょうか?それらのものの行き着くところ、それらのものがあなたに与えてくれるものは永遠の死なのです。しかし、ローマ6:22「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」と神はそのような祝福をくださったのです。罪を犯しているゆえに永遠の滅びに至ってしかるべき私たちを、そこから救い出してくださり、私たちに永遠のいのちを与えてくださったのです。ローマ6:23にはこのように続きます。「罪から来る報酬は死です。」と、罪を犯せば当然あなたには報いがあります。それは死、永遠の死、永遠のさばきです。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と続きます。永遠の滅びが当然の私たち、それをいただいてしかるべき私たち、それこそが私たちにとって相応しい報いなのです。でも、神はそんな私たちに永遠のいのちを贈り物として与えようとされたのです。だから、クリスマスなのです。だから、キリストが、救い主が来られたのです。あなたのために救いを備えてくださったのです。あなたがイエスを信じる前にイエスはあなたのために死んでくれたのです。2000年前の出来事がなぜ今の私たちに関連するのでしょう?相手は神だからです。2000年後にあなたをお造りになった方です。そのことは世界の造る前から決めておられたのです。神には時間など関係ないのです。十字架にかかっている時にイエス・キリストは、2000年後に生まれるあなたのためにわたしは死んでいるのだと、宣言なさるのです。あなたがこの方を知る前からこの方はあなたを知ってあなたを愛して、あなたのために罪のないいのちを捨ててくださったのです。こんな贈り物があるのです。そして、このイエス・キリストを信じることによってあなたはその罪から救われて、みことばが言う通り、永遠のいのちをいただくのです。どうして分かるのか、先ほど見たように私たちの心の中で聖霊なる神が働くからです。神を誉め称えたい、神を礼拝したい、神に喜ばれることをして行きたい、そのような今までになかった思いが出てくるのです。罪の奴隷だったときに、サタンの奴隷だったときにはそんな思いはみじんもありませんでした。しかし、そこから救われたことにより私たちに新しい思いが与えられたのです。私たちが救いに関して神に感謝すべきことは、神が私たちをサタンの支配下から救い出してくださったことです。どうすることもできなかった罪の奴隷だった私たちを救い出してくださったのです。主人が変わったのです。新しい主人をいただいたのです。誰でしょうか。コロサイ1:13を見ましょう。「愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」、ご支配に移されたと言うのです。この「移した」ということばは、この当時の人々にはよく分かったことばでした。古代、国と国が戦争し敗北した国は捕虜になります。勝利した国は敗北した国の人々を奴隷として自分の国に連れて来るのです。「移す」とはそのことです。ある国からある国に移されるということです。戦いに敗れた国の人々が別の国に移されてしまうということです。つまり、ここでパウロが言いたかったのは、サタンの領域にいたあなたが今はキリストの領域に、サタンの国に住んでいた者が今はキリストの国に移された、ということです。そのことがこの13節の後半で教えられています。今あなたはサタンの奴隷でも罪の奴隷でもなく、神の子どもとされたということです。だから、ヨハネの福音書の中でイエスが初めに言われたことは、1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」です。神の子どもとされたから、こうして自由に神と交わることができるし、いつも神を誉め称えることができるのです。II コリント5:17でパウロが教えたように「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と私たちは生まれ変わるのです。イエスがニコデモに対して「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)と言われたように、生まれ変わることが必要だし、生まれ変わりを神が与えてくださるのです。古いものを脱ぎ去って新しい衣を着ることができるのです。罪に染まった私たちがそれを脱ぎ捨てて、神の前に相応しい受け入れられる聖い衣を着ることができるのです。生まれ変わるのです。神の子どもとされるのです。だからパウロは、この13節で救いがどれほどすばらしいものかを説明しているのです。救いとはどういうものか。サタンの支配下から救い出されて神のものとされるということです。新しい主人を得るということです。そのことをパウロはまずここで教えるのです。だから、あなたがたは神に感謝し続けるべきだ、なぜなら、もうあなたはかつての主人に仕えているのではなく、新しい主人に仕える者になったのだからと言います。

2.救いは神の恵み  14節

14節「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」と、今もうすでに救われたクリスチャンに対して教えているので現在形で記しています。あなたは今このすばらしい救いを得ていると。ここに2つのことばがでています。「贖い」と「罪の赦し」です。

贖い=このことばは私たちにはあまり馴染みのないことばです。「贖い」とは身代金を払うことによって奴隷を買うということばです。奴隷を解放するために身代金を払うという意味です。神はあなたが神に喜んでいただけるような立派な人間になるように一生懸命努力したから、あなたに救いを与えてくれたのではないのです。先ほども話したように私たちはどんなに努力しても無理なのです。どんなに心を入れ替えても変わって来ないのです。確かに一日くらいできたとしても長続きしません。もし、神があなたの努力やあなたの意志で神が受け入れてくれるような完全な聖い者になりなさい、と言われたら、私たちは皆絶望です。そんな者にはなれないからです。感謝なことに、神は私たちの弱さ、罪深さを知っているのです。だから、神はそんなことは言われません、この救いを受け入れなさいと言われたのです。病気が治るために自分で薬を作りなさいと言われているのではない、薬を備えてこれを受け取りなさいと言われたのです。ローマ3:24でパウロが教えているのは「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と、私たちの努力で罪が赦される、義と認められるということではなく、神の恵みによって、しかもキリスト・イエスの贖いによってということです。神があなたを一方的に愛してくださり、イエス・キリストが贖いを成してくださったのです。身代金を払って奴隷を買うということです。奴隷を解放するということです。イエス・キリストはどんな身代金を払って罪の奴隷であった私たちを解放し、救い出してくださったのでしょうか?イエス・キリストが支払った身代金はご自分のいのちでした。

私たちはクリスマスをお祝いします。救い主をお祝いするわけですが、私たちが忘れてはならないのは、救い主は最初から「わたしは死ぬために来た」ということを教えておられることです。約30年間イエス・キリストは両親に仕えられました。その後、ご自分が来た目的を果たすために、人々の前で神について教えられました。イエス・キリストはヨハネからバプテスマを受けられました。その時にバプテスマのヨハネがイエスを見て言ったことは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)でした。なぜ「神の小羊」などという表現を使ったのでしょう。その当時、人間の罪が赦されるためには、いけにえを捧げたから、羊を捧げたのです。でも、人間が羊を何度捧げてもその羊は人間の罪を完全にきよめてくれることはなかった、だから神が羊を送ってくれた、最高のいけにえを送ってくれた、そのいけにえによって信じるあなたのすべての罪を完全に、しかも永遠に赦してくださったのです。ですから、イエス・キリストはあなたの身代わりとなって十字架で死ぬために来てくださり、そして、十字架で死んでくださったのです。ご自分の罪のないいのちを罪あるあなたの犠牲にしてくださったのです。お金ではなく、いのちという大切なものを、あなたのために喜んで捨てて、その死によってその身代金によって、あなたを罪の奴隷からサタンの支配下から救い出そうとしてくださったのです。そして、その十字架はすべて過去の出来事なのです。イエス・キリストはもうあなたのために死んで、あなたの救いを完成してくださったのです。救いはあるのです。救いは備えられたのです。ペテロもこんなことを言います。I ペテロ1:18−19「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」と、確かにこの当時、奴隷の売買はお金でした。金や銀でした。しかし、そのようなものによってではなく、罪のないイエス・キリストの血という代価によって救いが備えられたということをペテロも教えるのです。あなたが一生懸命努力したのを神が見ておられて、救ってあげようと言われたのではないのです。何にもできないでいる私たち、できることといえば神に逆らい続けることだけです。そんな罪深い私たちに対して神は、それでも救おう、赦そうと言ってくださり、あなたの身代わりに救いを備えてくださったのです。そんな大きな犠牲があなたのためにもう払われたのです。

罪の赦し=私たちは罪が赦されるのです。詩篇103:12「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」と、このようなことを神は赦しに関して言われました。東と西は絶対に一緒になりません。つまり神は、あなたの罪をあなたから完全に引き離される、もうあなたは罪ある者としてさばかれることはない、罪の問題はもう解決済みだと言われるのです。そんな完璧な、完全な永遠の赦しを神は備えてくださったのです。何によってでしょう?罪のないイエス・キリストがあなたの身代わりとなって十字架で死んでくださったという、その行為によってです。エペソ1:7で「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」とパウロが言った通りです。。

さて皆さん、今日私たちはこのみことばを見てきました。このみことばが私たちに教えてくれていることは明らかでした。神はすばらしい贈り物をあなたのために備えてくれています。罪の赦しです。あなたの罪は完全に赦されます。しかも、もう一つしっかり覚えておかなければいけないことは、あなたのこれまでの罪も、今の罪も、これからの罪も神はすべて知っておられるということです。あなたが罪深く神に逆らい続けている者であることを神はすべてご存じです。そして、そのすべての罪を罪のないイエス・キリストの上に乗せて、あなたの代わりにイエス・キリストを罰したのです。だから、このイエスを信じる者には罪のさばきがないのです。なぜなら、イエスが代わって受けてくれたからです。こんなすばらしい救いが備えられているのです。あなたを造ってくれた創造主は自分のいのちを捨ててあなたを救おうとしてくださったのです。あなたが考えなければいけないことは、いつまでこの神に逆らい続けるのかです。どうしてあなたのためにこのようにいのちまで捨ててくださった救い主を拒み続けるのかです。どうしてサタンに仕え続けるのかです。そこには何の祝福もない、神に逆らい続ける生き方に祝福はないのです。そこには呪いしかないのです。その間違った生き方から悔い改めて、神に従う生き方を選択することです。この方を心から受け入れ従っていく選択をするべきです。それをしなければいけないのはあなたです。そのことを神は今あなたに求めておられます。あなたが神に救いを求めて出て来るなら、その瞬間に神はあなたを赦してくださるのです。そのチャンスを逃さないでください。こんなすばらしい救いをないがしろにして、一体何によって救いを得ることができるのでしょうか?あなたに心からお勧めすることは、この救いを今日いただいて、罪の赦しをあなたのものにしてください、神に逆らう者から神の子とされてくださいということです。

クリスチャンである皆さん、あなたはもうすでに神の恵みにより救われました。そのことを感謝していますか?イエスがあなたのために来てくださったことを本当に感謝していますか?あなたのためにイエスが十字架で死んでくださったことを感謝していますか?もしそうならば、あなたのことばではなく行ないが明らかにするはずです。イエスの関心は私たちのことばではないのです。私たちの生き方です。

ペテロはこんなことを言いました。I ペテロ2:9に「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」と、何のために神があなたを選び救い出してくださったのか、その目的がはっきりしています。それはこの神のすばらしい救いをあなたが宣べ伝えて行くためです。それによってあなたが神に感謝していることが明らかされるのです。

最後に、私たちが見た、このコロサイ1:12−14をしっかり覚えてください。パウロはこのことをコロサイの人々に教えました。それによってコロサイの人々が神に感謝して、このすばらしい救いを宣べ伝えていくようにとパウロは望んだのです。なぜかと言うと、パウロ自身がそのようにしていたからです。使徒26:18を見てください。パウロがアグリッパ王の前に立って伝道している、その時の様子が出てきます。「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」、今私たちが見てきた通りのことをパウロは言っています。パウロはコロサイの人々にこの神の救いがどんなにすばらしいかを記したのです。パウロはアグリッパの前で、「異邦人の目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせる。わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためです」と、すべて見てきたことです。主人が変わることも、イエス・キリストを信じる信仰によって罪の赦しが得られる、聖なるものとされた者に御国が与えられる、天国が約束されていると。パウロはこの働きを神からもらったのです。イエス・キリストがそのことをパウロに命じたのです。「あなたを奉仕者、また証人に任命する・・・。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。」(使徒26:16−17)と、そして、このようなメッセージを語り、このような働きをあなたは為して行くのだと。パウロはイエスを信じ救いに与った時から、主人が変わって、神の恵みによって救われた時から、彼はこの与えられたすばらしい救いのメッセージを伝え続けたのです。そして、このコロサイの人々にも彼はメッセージを語るのです。こんなすばらしい救いにあなたも私も与っているのだから、いつもあなたは心から神に感謝し続けるべきだ、そして、このすばらしい救いを宣べ伝え続けることだと言います。パウロがそうしたように

だから、もう一度言います。救われている皆さん、クリスチャンである皆さん、神の恵みを感謝しておられますか?そうなら、あなたがしなければならないことは明らかです。このすばらしい神の恵みを人々に伝えることです。それが、こんな大きな犠牲を払って私たちを救い出してくださった神に対して、私たちがお返しできる小さなことです。感謝の心をもって歩んで行きなさいと、このキリストのご降誕を記念するこの日に、今からあなたがこのお方を心から感謝して生きて行く者として、新たな決心をもって歩み始めてください。主はすばらしい贈り物をくださったのです。